輪島千江子さんの「ヨルダン通信」番外編です。

 輪島さんが10月のはじめに喜茂別に帰って来られてから2ヶ月ほど経って、農村環境改善センターに立ち寄られました。それまで、帰国後も様々な研修を受けて自己研鑽を積んでおられたとのこと。2年ぶりの再会とあって、諸々の話題で歓談できました。そんな中から、「ヨルダン通信」を締めくくるにふさわしい「番外編」をアップロードするアイデアが持ち上がりました。今回は、その「番外編」です。
 輪島さんが、ヨルダンの任地で経験したことや感じたことの底流に流れる、両国の文化の違いをどのように受け止めたのか、私たちと同じ目線で書いてくださいました。特に、女性らしい鋭い感受性が受け止めたイスラム文化の特徴はとても新鮮で、単にイスラム文化圏だけでなく、日本、北海道の地域性についても振り返るきっかけとなるヒントがたくさんありそうです。
 いずれにしても、このように多くのレポートを私たちに届けてくれた輪島さんに、心から感謝いたします。今後の新たな飛躍を期待し、そして、またこのサイト上でお会いできることを切に願いたいと思います。ありがとうございました。

私は日本人!  أنا يابانية(アナ ヤバニィーヤ!)

皆さん、いかがお過ごしでしょうか?ヨルダンでの2年間の活動を終え無事日本へ帰国し、あっという間に3カ月経ちました。(なんだか同じ1日24時間とは思えないほど、日本の1日は短いように感じます)。
ヨルダンではクリスマスもお正月も無かった為、師走の忙しさや1年の終わりを感じることを忘れていましたが、今年は2年ぶりの日本でのお正月です。お節料理や年越しそばが楽しみです。

今回は、ヨルダン通信番外編として「私は日本人!」と言う題で、日本へ帰国して私が感じる事をお伝えしようと思います。

帰国後すぐに帰国報告会等があり東京に滞在していたのですが、その時に会った友達に指摘された事は・・・・・
① 横断歩道が無い所で、道を横断してしまう。→ヨルダンは横断歩道や信号が都市の何か所にしか有りません。車の様子を見て道を横断するのは当たり前でしたので・・・・。
② タクシーを止める時には人差し指を下に向け、トントンと上下に揺らし合図する。→ヨルダンではこのようにタクシーを止めます。日本に帰ってきて「何でタクシー止まってくれないの?」と思っていましたが、ヨルダン式で行っていました・・・・。日本では手を挙げてタクシーを止めますよね、ヨルダン式では「ここに何か有りますよー」とか言っている様なジェスチャーになってしまいます。
③ オーストラリアから帰国した際もそうでしたが、タクシーのドアの開け閉めが自動なのに自分でしてしまう。→世界でもドアが自動のタクシーは日本だけとの話を聞いた事があります。

日本とヨルダンの大きな違い(帰国してすぐに気付いた点)
④ 日本では、お店、デパート、飲食店などなど、従業員がとっても丁寧・親切・礼儀正しい!→ヨルダンではどちらがお客でどちらが従業員なのか分からないような接し方です。ヨルダンでは従業員が「ありがとうございました」と言うより、お客が「ありがとう」と言う方が断然多いです。
⑤ 日本では、タクシーの運転手が無言。→向こうではひっきりなしに話しかけてきます。「何歳?独身?」などなど、外国人女性とみればこのように質問しないと失礼なの?と思うくらい話かけてきます。実はこれには深い事情があるようですが・・・(宗教上見ず知らずの異性との会話はタブーのため、宗教が違う外国人に対しては接し方が全然違うのです)。
⑥ ヨルダンでは、バス等の交通機関では見知らぬ男女が隣に座る事が無いため、帰国した際、久々に見知らぬ男性が電車の隣に座り違和感を感じてしまいました(日本では普通の事なのですが)。
⑦ どこに居ても何をしてても誰も私の事をじろじろ見ない!ヨルダンでは珍しい外国人!のため、どこにいても見られていましたから・・・・。
⑧トイレにトイレットペーパーを流がしても良い、などなど。

日本とヨルダンとの違い(だんだんと気付いてきた点)
⑧ 日本は、水道・電気・電話・Net全て整っている。時間にしっかりしている(交通機関の時刻表、予約時間等)。食品、雑貨、洋服・・・種類が豊富で沢山そろっている。ヨルダンの田舎では特にこれらの事が日本とはかけ離れるくらい違っていたため、苦労はしましたがそこから学んだことや不便であるから出来た事が多かったように感じます。ちなみに、ヨルダンの都市間移動バスには時刻表がありません、満杯になれば出発となるため運の良い時はすぐに、運の悪い時には何時間も待たされます(私は最大2時間半近く待った事があります。アンマンまでの3時間の旅がその日によって4時間とか6時間になります。平均1時間待ちです。また、私の町から首都アンマンまでは3時間の距離でしたが、バスは午前中には無くなってしまうため日帰りは無理でした)。
ヨルダンでは
・停電の時は皆で心配しあい近所に集まる。
・物が無い時は貸し借りする。などなど、そのため近所は家族同然の付き合いでしたから知らない町、知らない国、知らない人種の人々の中でもさびしい思いをした事はありませんでした。
・限られた物しか無い。
・全てインシャーアッラー(もし神が望むのならば)の考え方。このような事により、「何事も焦ってもどうにもならない、時間が来るまで待ってみよう」とか「こうなるしかなかったんだか仕方ない」と考えられるようになりました。又、時には「日本があまりにも過剰過ぎるのでは?」ともまで思えてきました。

☆物質的な豊かさは日本の方が大きいのは言うまでもありませんが、はたしてそれは良い事なのだろうか?なんでも手に入り、便利になる事は良い事だが、そうしなくても生きていけるのではないだろうか?とも考えてしまいます。
☆先進国である日本人の私が、開発途上国のヨルダンに技術援助協力を行いに行ったのですが、心の豊かさについては彼らの方が大きいと感じましたし、そんな心を持っている彼女たちの中に居たので私も一度もホームシックになる事が無かったのではないかと今思っています。

しかし、日本との大きな違いは・・・何と言っても
★「友達とは、同性のみ」を言います。小学校4年生から男女別々の校舎となります。卒業後は進学すると男女共学になるのですが、都市に住んでいる今どきの若者やキリスト教でない限り異性と話をしたり、買い物に行ったりすることは全くなく、ムスラムの方は結婚するまで家族以外の異性と話をする機会は極めて少ないようです。
★せっかく大学を卒業したのに、女性が働く場は限られているため又は宗教上の理由のため、女性は職を持たずに家に居る事が多いです。
★町には男性が多く、レストランは勿論、甘ーいお菓子屋さんの店内で食べているのは男性のみ。
★夕食はサンドイッチ程度で、昼食が豪華(学校も仕事も15時ころまでには終わる所が多いので、家族が揃ってから遅めの昼食を家族皆でとります)。食事は一つの大皿で皆で食べる。

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それでは外国人である私が不思議に感じた事を「ヨルダンクイズ」としてみましたので、ぜひ挑戦を!

質問1 ヨルダンに美容室はあるのでしょうか(ちなみに、男性が利用する理容店は沢山あります)?

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答え 有りますが、ヨルダンの美容室は外から中が見えなくなっています(宗教上女性はいつもヒジャーブと呼ばれるスカーフを頭に巻いています。ヒジャーブを外せるのは自分の家の中、家族の前、女性同士の場だけなのです。自分の家の中でも男性のお客さんが来た時にはヒジャーブをすぐに身につけます。)ですから美容室の中が見えない様な造りになっています。田舎の美容室は、美容室の看板などは無く民家の1室が美容室になっています。
ちなみに、ヨルダンの女性はストレートの長い髪が好きなため、日本の様な「軽く」する技を美容師さんが身に付けていません。ですから美容室ではパチンと切られるだけ!!そのため私は3度ほどこちらの美容室に行きましたが、その後は自分で髪を切っていました。帰国して行った美容室では「自分で切ってたわりには上出来」と言われました。

◎ヒジャーブは興味深いです!!

問題2 ヨルダンの家では昼でもカーテンをして電気をつける事があります。なぜだか分りますか?

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答え 家の中、家族にだけ髪を見せても良いのであって、外から他の男性にヒジャーブ無しの姿を見られる事はいけないからなのです。ですから家の全ての窓にカーテンをして、中でリラックスしてヒジャーブを外して家事をするためなのです。

問題3 ヨルダンでは日本同様、ほぼ全ての家庭の玄関先にチャイムがあります。自分の家じゃないお宅にお邪魔に行くのにチャイムを鳴らすのは日本でもそうなのですが、自分の家に帰ってきた息子、お父さん、新婚さんで2人暮らしの旦那さんまでもがわざわざチャイムを鳴らして帰宅します。どうしてでしょうか?

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答え 家の中で自分の家族以外の女の人(お母さんの友達、近所の人等)が居ないかの確認。もし、近所の人が集まってお茶を飲んでいたら・・・チャイムの音で旦那が帰ってきたと分かり、彼女たちがすぐにヒジャーブを付けるためなのです。
 
ヨルダン人にとっては当たり前の事ですが、初めのころの私にとっては不思議な光景でした。

住めば住むほどヨルダン・ムスラムは知りたい事が沢山で、魅了されていました。

日本に帰ってきて気がついた事!
初めのうちはヨルダン人の嫌ところばかりが目についていましたが、日に日にここでは仕方のない事と思えるようになったり、自分でも気にならなくなったり、私も癖や習慣を得てしまったり、そのうち嫌いだった物が好きになったり・・・。実際日本に帰ってきてもヨルダンでの癖が何週間は抜けませんでした。
しかし、やはり「私は日本人!」すぐに日本の習慣に慣れました。1カ月日本語を話さなくても日本語は忘れません。しかし、1週間アラビア語を話さないとすぐに忘れてしまっています。残念なことです。

ワディムサの彼女たちは、私の事を家族と受け止めてくれているため、帰国後も何度も電話やメールをしてくれます。開発途上国の田舎で、自分たちの生き方を守ってきた彼女らにとって異国民・知らない国からの滞在者との2年間は今まで味わったことのない強烈な思い出になったようです。
私たち日本人のように、海外旅行にも行け、海外の文化に接する事も多く、外人も多く見る日本とは違い、日本の50年前?100年前?の様な生活をしている彼女らにとって私は彼女らの心にいつまでも残り続ける日本人となるのでしょう。その意味でも「日本人としての私」をみせる様努力した事は良かったと思います。

2年前の私の私生活での目標は、「互いの国の良いところを学び、互いに成長しあいたい!」でした。私は彼女らから「自国や自分の宗教に誇りを持ち、お互い助け合う気持ち」を学びました、私は彼女らに「他の国にも目をやり、接してみることで、他宗教、他国民でも心の通じ合う尊敬し合える所はある事を紹介出来た」と思います。

今回は2年間開発途上国での生活を経て、日本に帰国した際に感じた事を記載してみました。
これでヨルダン通信の連載は終わりとなります。私の活動・ヨルダンについて興味を持ち拝読して下さった皆さま、本当にありがとうございました。

*今回の写真は上から
・ラマダン中の普通より豪華な料理(手、又はスプーンで食べます。大皿から皆で、スープやサラダも皆で食べます。残り物は次の日に出てきたりするのですが・・・皆で食べ残した大皿を小皿に移し出てくるだけなので←初めは抵抗ありましたが、慣れると平気です)。
・ヨルダン ワディムサの美容室内(男性立ち入り禁止です)。
・私の帰国前、近所の方が開いてくれた「さよならパーティー」(私も悲しかったですが、彼女たちの方が泣いてしまって・・・)。

輪島千江子(2009年12月24日)