「ヨルダン通信」最終編です。
輪島さんの「ヨルダン通信」が、最終便となりました。
第1便が到着したのは2007年11月15日ですから、1年10ヶ月間に及ぶ通信期間となります。
この間、今回の最終便まで21便が届きました。
ヨルダンのワディムサでの輪島さんの任務(JICA)のようすと、
市民の生活や輪島さんとの交流のようすが、毎回のように生き生きと伝えられました。
私たちにとっても、輪島さんを介してヨルダンの人びと、ワディムサの人びとが、
とても近しく感じられるようになりました。
今回の「最終便」も、思わず胸が熱くなるような内容です。
輪島さん、そしてヨルダン、ワディムサのみなさん、ありがとうございました。
またいつか、どこかでお会いしたいと思います。
※今回の写真には短い説明が付いていますが、ソフトの機能と私の能力の限界で、付けられませんでした。
代わりに、この場所に、順を追って写真説明を付記します。写真説明は上から順に・・・
1)日本(世界の笑顔プログラム)から縄跳び・ピアニカなどが届き喜んでいる子供たち
2)寒ーい寒ーいワディムサの冬
3)思い出の卒園式、皆で劇をしました
4)ペトラでラクダと一緒に
5)JOCVによる日本紹介行事
6)思い出のクラス
7)同僚と
8)新婚さんと一緒に
9)ヨルダンのお嫁さんと
10)私もアラビー服に挑戦
【輪島さんの「ヨルダン通信」最終便】
日本帰国10日前となりました。喜茂別は日に日に寒くなっているのでしょうか?
今回は「ボランティア活動に参加して」と言う題でお伝えしようと思います。
開発途上国でのボランティアは私が想像していたものとは本音ちょっと違いました。
■ヨルダンだけのことかもしれませんが、私は「水も電気も電話も繋がらないような所で、泥まみれになり活動をする!」と言う印象を持ち受験をしたため、それは全く違いました。勿論日本のそれとは違いますが、これらについては思っていた以上に快適な生活をすることが出来ました。
■でも・・・・想像と反していたところは・・・、「(初めから)現地の人たちに歓迎されるんだろうな!」と思っていた所!!これは日本での研修ですでに聞いていたことですが、多くの開発途上国では自国が一番と思っているため、「何であなたが来たの?私達には必要ない。」と言われると・・・・、実際私も初めはそうでした。私は自分だけの早とちりで「私がここの幼児教育を変える、教えることが沢山ある」と思っていました。でも職場での現実は言葉も出来ない私に尊敬や敬意の様子などまったくなく、召使のように使われる毎日でした。今考えると言葉も出来ない私に「何ができるの?」とヨルダン人の同僚や校長も思っていたのだと思うことができますが・・・。
それでも毎朝誰よりも早くに出勤し、計画を立て日本の幼児教育を紹介したり、一人で(同僚の協力は全く無いのだが)子供たちのために色々なことを考えたり、作ったり、掃除したりしているうちに(もちろん語学ができるようになったのは言うまでもありませんが)、同僚たちの私に対する態度が変わっていったのが本音です。
半年を過ぎる頃には「ちえこは何でも出来る・賢い」と思われ、同僚・同僚以外の先生方からの「手伝ってー」が殺到しました。
1年が経過した頃には同僚は私の存在を理解し、私の活動に興味を示し、私の活動中には手伝いをしてくれるようになりました。
そしてそれからは「ちえこが帰る前にこれだけは学ばなくては!」などなど・・・。この頃には同僚は私の活動の1番のファンで同僚自らも私の授業(作品作りや体育・音楽等)に楽しんで参加していました。
開発途上国!言葉も違い・生活習慣・考え方・宗教も違う国で活動すると言うことは、まず初めに自分から「私はどういう人で、何が出来、何をしにここに来たのかを見せ理解しもらうことから始まる」とヨルダンに来てわかりました。初めは「なんで分かってくれないの?JICAとこちらの教育省の話で私が来てあげてるのに・・・」と思っていた部分もあったので納得のいかない毎日でしたが、今になって思えば彼女らの取った言動は仕方のないことだったのかもしれません。
それでは私が思う「開発途上国ボランティアに向いている人⑩」を紹介します。
①一人の時間が好き、一人で居ても平気、一人で何でもできる。
②計画性を持ち進められる人。
③計画的に進めていくが、何かあった際には新たな目標・計画を柔軟に組み立てられる人(計画立案の際に多くの目標があるとこの時に便利である)。
④自分の意見をしっかりと持っている人。
⑤何が大切なのか見極め、それに従い行動できる人。
⑥人には色々な意見があるのだと思える人。
⑦前向きに物事を考えられる人。
⑧開発途上国に興味があり、ボランティアしたい人。
⑨日本では味わえない大変な暮らしを味わってみたい人(→人間大きくなって帰ること間違えない!)。
⑩人の欠点よりも良いところを見つけてあげられる人。
です。どうですか?
ヨルダンでのボランティア終了にあたり言えることは、
▲ヨルダンの良い人は本当に日本では見たことが無いくら良い人である(世話好き、おせっかい嫌いの人には無理でしょうが)、しかし悪い人は(コーランに嘘はいけないと書いてあるのに)日本では見かけないような大ウソつきが居る!
▲ヨルダンボランティアは地域により差がありすぎる、首都では日本の田舎よりも快適な暮らしが出来る。ちなみに私は根っからの田舎者のため、ここヨルダンでもボランティアの中でも1番か2番の田舎隊員となりました。
ここで言えることは、「喜茂別のような田舎育ちで良かったー」と・・・!店まで15分歩く、吹雪の時は家にジーっと居る、店の食材・生活用品など限られた物で満足できる、などなど・・・喜茂別出身だから都会出身者であれば愚痴が出てくるであろうことが耐えられたような気がします。実際今年3月にマラウイに派遣された松永さんも「喜茂別出身であるため耐えられることが他の隊員より多い」と感じていると思います。人口2500人前後の小さな町、喜茂別町から開発途上国へのボランティアが2人も出たということは、上記の話と比例していると感じるのは私だけでしょうか?
私がヨルダンに居る2年間の間、何名かのボランティアの方々が任期短縮をし日本に帰国しました、又、他の隊員も多くの悩みを持ち活動しているのが現状です。
私も本当に沢山悩み、沢山泣きました。先輩隊員が言っていた言葉を思い出します「悩みがあると言うことは、開発途上国のためを思い色々と考えているから!」本当にその通りだと思いました。
沢山の悩みを抱え活動していたわけですが・・・「ワッジー(私のあだ名)はいつも楽しそう!悩みがなさそう!」と言われることが多いです。実際、隊員には悩みは相談しませんでしたし、「悩みは自分でしか解決できない。又はその悩みを実際に見て知っている職場やムサの人でなければ理解できない・・」と感じていたからです(勿論JICA事務所には悩みを相談してましたが、やはり解決は自分です)。ですから悩みも何もかも知っている本当の友達はムサの近所の人たちなんです。言葉も半分も出来ない、異国民、異宗教の私の悩みに一緒になって泣き、解決策を見つけてくれたムサの彼女たち!!本当に別れるのが悲しいです。私がお金持ちなら「彼女たちを日本に連れて行きたい」といつも思っています。でも・・・心から呼べる真の友達です。きっと3年後、5年後・・・・10年後に会っても昨日のことのように、またすぐに分かり合える気がします。
JICA、開発途上国でのボランティアは私の20代初めからの夢でした。いつも新聞の広告を見るたび、「参加したいな。けどこれは優れた人だけだろうし、経験が必要なんだろうな?」といつも諦めていたのが本音です。しかし、30歳を過ぎたある日、いつもとなく新聞を捲っているとJICA広告が頭から離れず「今受けてみるチャンスかも?」と思い、受験しました(受験を決め実際に合格が決まるまでは母親、姉しか知りませんでした)。合格が決まった日には母は心配の余り具合が悪いようでしたし、父にも何かと反対されるであろうと研修に参加する直前(受験を決めてから半年以上経過)に話をしたのを覚えています。
きっと皆さんの中にも家族の反対がある。経験がないから等で受験を諦めている人がいるかもしれませんが、
☆「経験がない」と自覚しているから、頑張ろうと努力する力が生まれます(私もそうでした)。
☆又、家族はきっと・・・自分の方向をしっかりと見つめ、努力して、充実している姿を見て応援してくれる存在に変わると思います。
開発途上国へのボランティアに参加出来たことを心から嬉しく思います。ですから、皆さんも興味があるのでしたら受験してみてください。
2年間喜茂別町ホームページ ヨルダン通信をご愛読下さった皆さん。又、このような機会を提供してくださった喜茂別町町長様、喜茂別町ホームページ担当 梅田様本当にありがとうございました。
私は9月23日にヨルダンを旅立ちます。東京での帰国報告・研修会後10月には喜茂別町に着く予定です。皆様とお会いできる日を楽しみにしています。
輪島千江子(2009年9月13日)
梅田 日時: 2009年09月14日 17:11
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